【スピリチュアル⑤】スピリチュアルの宗教・哲学との関係【キリスト教、仏教】

スピリチュアル 宗教 キリスト教 仏教 哲学

前回
【スピリチュアル④】
スピリチュアルは怪しいものではない
幸運の壺 スピリチュアル オカルト 定義 お守り

からの続きになります。

スピリチュアルって
宗教や哲学とどう違うの?

なんか、ごっちゃごっちゃで
よくわからない。

冒頭の疑問文 友達 ブログ

 

「スピリチュアル、オカルト・・・なんかあやしい。😅」

いまだに、このような考え方があるとは思う。
もし前回の記事を読まれていない方がいらっしゃれば
そちらで詳しく書いております。

今回は、

長い歴史があり、学問としても確立され、
歴史的偉人も多い宗教、哲学が、
スピリチュアルとどう関係しているのかを
考えてみようと思う。

アルゴ まとめ ポイント 解説

結論、スピリチュアルは生き方、思想のひとつ

スピリチュアル 人生が変わった シルバーバーチの霊訓

どれも「生き方」「思想」であることにかわりない

 

スピリチュアルは生き方、思想のひとつだ。
結局、これが結論である。

そしてわたし自身の結論が、
スピリチュアルとは人が生きるすべての理由だと
思っている。

 

この記事でお話しするが、
哲学や宗教も生き方、思想のひとつで、
スピリチュアルと似通っている。

つまり、
どれもこれも
明確な線引きというものがムズカシイ!

 

様々な宗教に身をよせ、
そこに喜びを見いだしている人もいれば・・・

いっぽうで
日々、答えの出ない哲学的な問いに自問自答し、
それに生きがいを見いだしている人もいる。

 

ようは、
人それぞれ、

「幸せだ😄」

と思える生き方を選べばいいと思う。

 

別に・・・
スピリチュアルという言葉にこだわらなくても・・・
どこかの宗教に入信しなくても・・・
哲学書を読みあさらなくても・・・

人それぞれが人生の意味を見いだして、
価値ある人生をおくれればいいのです。

 

わたしの場合は、
単純にその人生の意味が
スピリチュアルだったというだけ。

 

そしてそれに20年来
心を救われ生きる原動力となり、
こうしてスピリチュアルについて
毎回記事の発信をしているというわけです。

 

とらえ方の違い

 

さて、ここからが本題だ。

 

先ほど
スピリチュアル、哲学、宗教の
線引きが難しいといったが、

それは
「生き方」
という意味においてである。

 

スピリチュアル、哲学、宗教は
そもそもとらえ方がちがっている。

 

それぞれの学問(分野)が
「生き方」について
どのようにとらえているか・・・?

それを次の見出しから
考えていこう。

 

スピリチュアルと哲学、宗教との関係

アルフレッド・アドラー承認欲求を観察する 感情を観察する

西洋の哲学、思想について

 

西洋哲学・・・といっても、

ソクラテス、カント、デカルト、ニーチェ、
サルトル、ハイデガー・・・・

誰もが聞いたことのあるような
様々な哲学者がいるし、
哲学者の中でも考え方は異なっている。

 

彼らは
紀元前のソクラテスの時代以前から、

「誰もが納得できる
共通の真理ってのは一体なんだ??😕」

というように
答えのだせない問いを
延々と続けているのである。

 

そして、今も
絶対的な真理というものが見つからないから、
哲学を探究、研究、議論する人々がいるのである。

 

東洋の哲学、思想について

一方、東洋の哲学は
西洋哲学とはちがい、

「絶対的な真理は見つかったよ😌」
「悟りをひらいちゃった😌」

というのが
基本的な姿勢である。

 

インドの釈迦(しゃか)や、
中国の孔子(こうし)は、
キリスト、ソクラテスとならび
世界4大聖人といわれている。

釈迦や孔子のように、
悟りをひらいた人たちを教訓にして、
いかに自分もその境地にたどり着けるのか・・・?

というのが
東洋の哲学の考え方といっていい。

 

答えのない問いを現代も続けている西洋哲学・・・

答えははるか昔に見つかっているから、
聖人と同じように悟りをひらくために修行をする・・・。
という東洋哲学。

両者は大きな違いである。

 

宗教と哲学との違い

 

では、
宗教と哲学はどう違うのか・・・?

わたしは
様々な宗教、哲学の歴史、大切な考え方を学んだ。

そのうえで、
自分の考えを述べさせてもらうことにする。

 

そもそも
キリスト教・・・のキリストは
自分で「宗教」を開いたわけでもない。

釈迦は
自分で「仏教」を開いたわけでもない。

彼らはある意味、
実在した「哲学者」といっても
「スピリチュアリスト」といっても
差し支えないと思う。

 

宗教というのは
そうした聖人をあがめる人々や弟子が
あとから作ったものである。

しかし宗教といわれるものは、
いつのまにかに
キリストや釈迦のおしえに
いろいろな解釈をミックスさせてしまい、
オリジナリティを出してしまったことである。

だから同じ仏教でも、
宗派が無数に広がっているのである。

 

しかしわたしは
これをいけないものだとは思わない😕

 

そもそも・・・・

価値観は一人一人違うのだから、
同じ聖人をあがめている人であっても、
同じ宗教に属している人であっても、
考え方はちがって当然なのだ。

 

<関連記事>
【対人心理学】
価値観が同じ人なんて一人もいない
【73億人の価値観】
価値観の違い 価値観が違う 職場 双子 同じ人なんていない

そうした考え方が異なる人が
「宗教」という集団をつくる以上、
その宗教のとらえ方もかわってくるのは
当然のことと思える。

 

そして
聖人の死後になって、
宗教の考え方にプラスされた要素の中には、

この世の物理学では
説明も証明もできないような
神秘的な現象、奇跡・・・
こういったものがある。

それらは
わたし自身のスピリチュアルな生き方にも
大きく関わっている。

盲目になっていはいけない

感情を観察する 感情の観察 不安の原因をさぐる

考え方はそれぞれちがって良い。

ただ、
大事なのは、
盲目になってはいけないということだ。

 

とくに宗教は
「わたしたちの宗教が世界で一番正しい。
だからこの考え方を世界に広めなくてはいけない😡」
・・・・というように、

自分たちの信じている宗教が
この世において絶対的なものであると

信じ込んでしまっている点がある。

 

だからこそ、
キリスト教とイスラム教の対立が起こる。

こういうものは本当にくだらない。

 

先ほど言ったように
価値観なんてものは
73億人いれば73億とおりの考え方があるので、
「自分たちの宗教が正しい」なんてことは
誰にも言い切れないのである。

 

繰り返しになるが、
わたしはキリスト教、仏教などの宗教学、
歴史や哲学、スピリチュアリズムなど
様々な考え方を学んだ。

どの考え方も
「まちがい」だなんて思わないし、
「絶対に正解」だと思わない。

それぞれに学ぶべき点はたくさんある。

 

だから自分たちの考えを示すことはあっても、
自分とはちがう宗教や思考の人をみても
否定してはいけないのだ。

 

わたしのスピリチュアリズム

低収入・独身男・家を買う。のブログ

では、
スピリチュアルとは何なのか・・・・??

繰り返しになるが、
「生き方」のひとつである。

 

わたし自身、
「スピリチュアルな生き方をしていて幸せだ😄」
と感じているが、

どこぞの団体に属しているわけでもなければ、
特定の誰かを絶対的に信仰しているわけでもない。

 

ただ、
自分自身のスピリチュアルな価値観がある。

どこかにお金を払わなくても
幸せにはなれるのである😄

 

スピリチュアルといっても、
これまた流派・・・みたいなものも存在する。

 

たとえば食べ物に対する考え方ひとつでも、

「肉、魚、卵、乳製品を食べてはいけない」

「肉はダメでも、卵、魚はオッケー」

「どれも基本的にダメだけど、
外食で食べなければいけないものは残さず食べるのが大切」

などなど、
人それぞれ考え方は違うのである。

 

わたしも自分のルールに従い生きている。

そしてそれによって幸せになっている。

 

それをこうしてブログで
紹介しているだけのこと。

「絶対的に正しい」ということはないし、
そんなえらそうな態度をするつもりはないです😓

 

だけど自分なりの解釈を知ってもらい、
見た人の人生のヒントになれるのなら・・・

これほど幸いなことはないと思う😄

 

だから今後もスピリチュアルな発信を
ずっと続けていくつもりだ。

 

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