前回
【スピリチュアル③】
スピリチュアル視点でのお金、投資
からの続きです。
スピリチュアルってやっぱり怪しい。
「この壺を買えば幸せになれます」
とか
「この水を飲めば病気が消えます」
とか・・・・w
正直、うさんくさいイメージばかりだ!
インチキだ!😡
このように感じる人がいるのも
無理はありません。
世の中には
スピリチュアルの名を利用して
人を騙そうとする
怪しいものもたくさんあります。
本記事では、
わたしが人生を救われたスピリチュアルについて、
体験談にもとづいてお話しします。
宗教や哲学とどう違うのか・・・?
いったいぜんたいスピリチュアルって言葉自体、何なの?
こういったことをお話ししています。
もくじ
怪しいスピリチュアルの存在
スピリチュアルという名称について
そもそも
スピリチュアルとかオカルトとか宗教とか・・・
そういったものに今まで感心がなかった人にとっては、
全部、ごっちゃになってますよね。
そもそもスピリチュアルという名称における
明確な定義はないのでは・・・?
・・・というのがわたしの結論です。
おそらく、
リンゴを見て、「これはメロンだ」という人はいないでしょうし、
メロンを見て「これはリンゴだ」という人はいないでしょう。
リンゴやメロンが、
それ自体である認識が明確になっており、
あたりまえすぎているからです。
でも
いちスピリチュアル、オカルト、宗教となると、
「ん?どう違うの?
神さま・・・お化け・・・幸運の壺?」
「目に見えないもの信じちゃって・・・
全部一緒でしょ😅」
と全部一緒に
懐疑的な視点でとらえられることもあれば、
「どれも人生における指標。行動指針😌」
と肯定的にとらえる人もいます。
肯定的、懐疑的・・・・
それは置いておいたとしても、
スピリチュアル、オカルト、宗教について
その線引きがあいまいで、
きちっとした定義がないんですね。
リンゴを見て
「皆はこれをリンゴというけれど、
これは僕はメロンなんじゃないかなぁと思う」
といっても
誰も相手にしてくれませんよね??
ある人にとっては
宗教もスピリチュアルに入るし、
ある人にとっては
何の効果もない
幸運の壺や幸運のブレスレットを
売りつけてることも
スピリチュアルに入るのです。
このあいまいさ、
線引きのなさが
スピリチュアルが浸透しない
理由のひとつなのかなと思います。
スピリチュアルな怪しい商品
そしてここからは
わたしがとらえるスピリチュアルについて
少しずつ
深堀りしていきます。
さきほど
幸運の壺やブレスレットを売りつけるのも
ある意味スピリチュアルだと言ったのは
ある人はそれを本気で信じて売っている人もいるからです。
「ただの水が数十万円、これで病気が治るなんて😓」
と、そういう高額な商品じたいに
特別なパワーが宿るとは
わたしはまったく思いません。
しかしモノのパワーでいえば、
何もこういった一見怪しそうな商品だけではなく・・・
子どもの頃におばあちゃんからもらった魔除けのお守りや、
神社で買った大学合格祈願のお守り
交通事故防止のお守り
霊的なパワーを信じているという意味では同じであり、
こういったものを大切にしている人は多いのでは?
と思います。
わたしはそういったモノすべてを批判はしませんが、
モノ・・・というのはあくまで人々の思いがこめられて
意味をなすものなのだと思います。
お守りに限らず、
その人にとって大切なモノは
その人にとって大切なモノであるという事実
それだけです。
わたし自身も子どもの頃から大切にしているタオルがあり、
死んだときは一緒に棺桶にいれてほしいと思っています。
タオルを見るたびに子どものころに帰ることができる・・・
それがそのタオルがわたしだけに発するパワーといえます。
話は戻ってつまり、
置くだけで幸せになる壺・・・
身につけるだけで恋人ができるブレスレット・・・
飲むだけで病気が治る水・・・・
こんな便利なモノはぜったいに存在しませんし、
本当にあればノーべル彰どころではありません。
そしてそんなすごいものは、人に中途半端な高額で売ったりしません。
自分で使いますよね・・・?(笑
こういう詐欺商品にだまされて
お金を出してはいけません。
お金を出して何の効果もないから
「スピリチュアルなんてデタラメ、詐欺だ!😡」
こう思われてしまうのです。
わたしは
おみくじも信じません。
そのモノの値段うんぬんよりも
自分の身の回りにある
自分にとって大切なモノを大切にしましょう。
スピリチュアルの定義について改めて考える
スピリチュアル、宗教、オカルトどう違う?
何度も繰り返しになりますが、
明確な区分分けができないのではないかと思います。
ただ共通していえるのは
目に見えない霊、神の存在を認めていることであると思います。
「自分はそんなもの信じないよ!!😩」
・・・・という人もちょっと待ってください。
よくよく考えると
誰もが目に見えない何かに接していたり
思いを馳せたりしているでしょ?
家の仏壇の前で、手をあわせて
おじいちゃんおばあちゃんの遺影に祈っているのは?
きっと思いが届く・・・
そう信じているからではないでしょうか・・・?
すなわち誰もが
スピリチュアルの世界に接しているのです。
(宗教、哲学についての考え方違いは
今後の記事でお話しします😌)
スピリチュアルとは「生きる指標」
スピリチュアルの定義は
百人いれば百人の定義があると思います。
宗教のように特定の神を信じることもそうだし、
遺影の前でお祈りすることも、
神社で賽銭をしてお守りを買うことも・・・
みんな
目に見えないモノを
大切にしているからこその行動です。
しかしわたしが考える
「スピリチュアル」あるいは「スピリチュアリズム」とは?
一言でいうと
「生きる指標」
であると思っています。
こうしてブログで発信しているのも、
介護の仕事を続けるのも・・・
今の自分がどう行動するか・・・?
未来はどうなりたいか・・・?
これを考えるときに
やはりスピリチュアルな視点に行き着きます。
日々、
つらいことや
心を打ちのめされることはたくさんありますが、
「生きる指標」があれば、
いつでも元気になることができます😄
結局は、「生きる指標」はスピリチュアルでなくても、
「家族、友人、ペットの存在」
「宗教」
「社会貢献」
なんでも良いのです。
わたしは20年間、
スピリチュアルな生き方を選び
幸せになれた・・・
だからこれからも
スピリチュアルに関する発信を続ける・・・
それだけのことです。
次回
【スピリチュアル⑤】
スピリチュアルの宗教・哲学との関係
【キリスト教、仏教】
に続きます。
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