20年間様々な『死』に接してきた私が考える『生きる』意味② 看取りについて

前回記事
20年間様々な『死』に接してきた私が考える『生きる』意味① 延命治療について
の続きです。

それを読んでいただいた前提でお話します。

看取りについて

前回記事で述べたとおり、自分自身、「寝たきりになってまで長生きしたくない」という気持ちを抱えながら、介護施設で延命治療の方のケアに携わるという矛盾した行動をとってきました。

反面、介護の仕事をしていて良かったと思えた事も同じくらい有りました。

転職を重ねた私ですが、ある施設では経管栄養などの延命は一切実施せず、自然なかたちで入居者の『看取り』をする素晴らしい介護施設にも務めることができたのです。

 

『看取り』というのは、ある意味『延命治療』の逆で、死が迫った方に対し、「食べたくない」「飲みたくない」という意思を尊重して、極力自然なかたちであの世へお見送りすることを言います。

自分の手で箸やスプーンを持てないようになったからといって、食べる意思がないというわけではありません。身体が不自由でも食欲は旺盛な方がいますし、そうした方に必要な援助をしていくことこそ、介護士・看護師の真の役目だと思います。

しかし『食べること』『飲むこと』を必要としなくなった人は、介助に対しても首をふり、拒否をするようになります。

自分の足で歩きカロリーを消費している私達ですら食べたくない時があるのですから、一日中寝ているか椅子でじっとしているお年寄りが無理に食べれるわけがありません。

それでも無理やり食べさせたり、延命治療を行うというケースがあるという事は、前回記事でお話したとおりです。

 

『看取り介護』は、その人の「食べたくない」「ベッドから起きたくない」という意思を尊重し、その人が自然でおだやかな死を迎えられるよう援助していくのが目的です。

『看取り介護』といっても、全ての方がおだやかに逝けるのかといえると、そうはいえないケースもあります。

たとえ「経管栄養などの延命治療をしていなくても点滴くらいはしてあげたほうがいい」というような事を言って、人工的に水分を身体に水分を入れてしまうケースもあります。

本人を苦しめないため…という善意で行う治療といえど、やはり本来口から摂取することを必要としていない水分を体内に入れるということは、後に身体がむくんできたり、痰がからんできたり、余計に苦しめることにもなりかねません。

表面的に看取りをしているようにみえても延命治療を行っているのと変わらず、やはりその方が苦しむ時間が長くなってしまいます。

食べ物や飲み物を口から摂ることを拒否するというのは、身体がそれを必要とせず、死を迎える準備ができているのだと私は思います。

 

上述した素晴らしい看取り介護をしている施設は、そうした延命治療もしていませんでした。

ずっと同じ姿勢で寝ていると身体が痛くなるので身体の向きをかえてあげたり、無理に入浴できないので蒸しタオルで身体を拭いてあげるということがほとんどです。

苦しまずに逝く方法

私が介護施設で看取り介護をしている上で、「本当にこの人は幸せそうに亡くなった」と思えた人がいます。A様は亡くなる1週間前まで職員の介助でご飯を残さず食べていました。

しかしA様は自分で箸やスプーンを持てていた頃から、「こんなまずいものは食わねぇ」「今日は施設の食事じゃなくてカップ焼きそばが食べたい」と、けっこう頑固で好き勝手なおじいさんでした。

ほぼ寝たきりになってからは職員が食事介助をするようになったのですが、亡くなる2日前くらいから、「もう食べたくねぇ」と拒否をするようになり、全く口を開かなくなったのです。

職員は無理に介助をすることもなく、「Aさんがそういうのだから仕方ない」と、食べられなくなった段階で食事の提供自体を辞めました。

点滴などの延命治療をすることもなく、食事をとらなくなって2日後には亡くなりました。

死期が近い方というのは皮膚の状態(チアノーゼ)などで、あとどれくらい生きられるかが把握できるようになっています。A様は私が夜勤の最中に看取りをしたのですが、本当に「ぐぅぐぅ」といつも通りいびきをかいて寝ている状態で、徐々に心拍数が下がり、寝たまま亡くなってしまいました。

最後はA様の言葉を聞くことができなかったので確認のしようがありませんが、私が看取り介護をしてきた中で、あれだけ楽そうな表情で眠りについた方というのは、初めてでした。

死の瞬間もその場にいましたが、「苦しまずに逝った」というのは、まさにこの事を言うんでしょうね。

延命治療を一切せず、「もういらねぇ」という意思に従っただけのことです。

A様はその段階で、死ぬことを分かっていたのかもしれませんね。

私はA様を看取れた時ほど、「介護の仕事をしていて良かった」と思ったことはありませんでした。

フリーランス介護士としてできること、自分の未来

現在私は、フリーランス介護士として、在宅で生活する方の援助をしています。

自分が会社員を辞めて個人で働きたかったという理由もありますが、それと同じくらい大きな理由もあります。

それは、『介護・福祉』という世界で働きながらも、お客様自身を尊重して、お客様が望むケアをしたかったからです。

 

寝たきりのお客様にこちらのエゴで、無理やり『長生きできるようなケア』を提供することもありません。

私が契約しているお客様は自立して、高齢になっても「やりたいことがたくさんある」状態の方ばかりなのです。

その人の外出支援を行うことえ、お客様が心から喜んでいる姿が見られます。

そうした『生きる理由』『生きる意思』がある方へケアを提供できている事に誇りを感じています。

 

私自身、現在40代。今後50歳、60歳と年齢を重ねていく中で、自分自身が絶対後悔しない、納得できる生き方をしたいですね。

その過程は今までもこれからも、YouTubeチャンネルのメインテーマとなっています。