【スピリチュアル日記】どのような死に方をしたいか【看取り介護】

看取り 介護 ターミナルケア 点滴 延命

介護の仕事がら、
これまで何十、何百名の方と
別れを繰り返してきました。

その中でも私の施設は
看取り介護を取り入れており、
何度も死の瞬間を見届けてきました。

今日もまた一人、
利用者さんが旅立っていきました。

 

わたしはこんな
スピリチュアル的な思想をもって生きているので、
「死」を苦痛からの開放という
肯定的なものとしてとらえています。

ですが、亡くなった利用者さんを前に
悲しむご家族を見て
そんなことを言えるわけもありません。

価値観、死生観は人それぞれなので、
考えを押し付けるなんてことは
仕事のうえではゼッタイにしないように
気をつけています。

こうやってブログで書いていく以外は…。

 

看取り介護となると、
ケアを行っている職員も皆やりがいを感じますし、
亡くなった後にご家族から感謝されます。

でも何度かそういった
死の瞬間を看取るたびに
いろいろ考えさせられるものがあります。

 

看取り介護といっても、
その人の状態によって
眠るように亡くなる方もいれば、
食事が食べれなくなってから
一週間くらい呼吸が荒くなり苦しみ続ける人もいます。

看取り介護は
人間の「死」を自然なものととらえ、
経管栄養や酸素など、延命処置をせずに
自然に亡くなっていけるように
ケアをしていくものです。

ですが、
一週間苦しみ続けるくらいならば、
救急搬送されて病院で亡くなるほうが
その人にとっては苦しむ時間も少ないのでは・・・?
と感じてしまうこともあります。

 

また、
看取り介護という考え方は
施設介護でも在宅介護でも行われますが
施設介護では境界線があいまいな気がします。

看取り介護では
経管栄養などの延命処置はしないのに、
点滴をしてあげたりはする・・・。

点滴は延命じゃないのか・・・?
という疑問があります。

また、食事に関して、
ご本人がもう口を開けない状態なのに、
「配膳をやめると
もうすぐ死ぬみたいな感じだから…」
「少しでも味あわせてあげたい」等の理由で
最後まで配膳すべきだという意見もあります。

わたし自身の個人的な意見ですが、
人が食事を食べれなくなる理由は
もう食べる必要がないからだと思います。

だから
自然な死を尊重するはずの看取り介護で
「できるだけ食べさせてあげたい」
とか
「点滴はして少し水分をとらせてあげよう」
というのは、
結局、苦しみを長引かせるだけな気がします。

 

それでは
日常的に介護をしている私たちは
いったいどの段階から、
看取りの段階に入ったと言えるのでしょう。

いったい誰が、
あとは亡くなるのを待つだけ・・・
と判断するのでしょう。

自分自身、
しっかり納得して行えるようになるには、
まだまだ課題がありそうです。

 

わたしは看取り介護について、
どれだけ素晴らしい概念であろうと、
その人個人への敬愛があってこそ
成り立つものであると思います。

みなさんが元気なうちに、
「私が御飯食べれなくなったら
 胃に穴開けて栄養をおくりこむのを
 やめてほしい!」
と奥さん、あるいは旦那さんに言っておけば
それを尊重してくれるかもしれませんね。

でも「死」というのは
突然やってくるかもしれないものなので、
本当の意味では
自分で選べないですよね。

本当に難しい問題です。